南九州おさんぽ日記

史跡巡りの備忘録などなど。

【鹿児島県鹿児島市】一之宮神社

初めての投稿は、一番身近なところから。

鹿児島県鹿児島市郡元にある『一之宮神社』です。

ご覧のとおり、住宅街の中にひっそりと佇む、いかにも「地元のお宮さん」的なこじんまりとした神社。

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入口はこんな感じ。

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実家が近所なので、小さい頃はよくこの神社で友達と遊んでいました。

夏休みにはこの神社で毎朝ラジオ体操があって、終わってからは奥の林で虫取りをすることも多かったです。

また、初詣や「六月灯」(鹿児島で毎年7月(旧暦の六月)になると県内の神社で開かれるお祭り)の時などは多くの人で賑わいます。

 

そんな一之宮神社は敷地面積などは非常にコンパクトですが、社伝によると創建から約1,350年もの歴史があり、鹿児島市内では最古の神社なんだとか。

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 これによると、天智天皇のころに指宿にある枚聞神社の分社として創建され、島津家初代の忠久公が元旦に、一之宮神社(一之宮)、鹿児島神社(二之宮)、川上天満宮(三之宮)の3つの神社を巡拝していたことから、島津家歴代当主の三社参りの神社として信仰を集めていたようです。

歴代当主の庇護を背景に隆盛を極め、最盛期には郡元を含む近隣の4町周辺までが神社の敷地(神領)だったとのことですが、規模が大き過ぎていまいちピンと来ませんでした(笑)

 

ただ、薩摩藩初代藩主の家久(忠恒)公の代でこの三社参りの伝統が途絶えてしまい、江戸時代以降は縮小していき現在のコンパクトな規模に収まったことを思うと、栄枯盛衰を感じずにはいられません。

 

私が思う以上の紆余曲折を経て今に至るであろう一之宮神社ですが、コンパクトな敷地面積に沢山の見どころが凝縮されています。

 

まずはこちら。

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鳥居をくぐって短い参道を上った先にある、力試しで使われたという「力石」です。

 昔の人は100kg越えの石を肩まで持ち上げられる人がいたんですね。

私にはとてもではないですが無理そうです(゚ー゚;Aアセアセ

 

力石の隣には、戦役記念碑がありました。

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明治三十七八年と刻まれていたので、日露戦争の時のもののようです。

 

その向かいには、大東亜戦争の慰霊碑も。

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 規模は小さくなっても、地元の人たちの心の拠り所だったんでしょうね。

 

 戦役記念碑の裏には、こんな石塔もありましたよ。

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だいぶ風化していて文字はほとんど読み取れませんでしたが、案内板によると戦国時代に建てられた珍しい塔婆とのことです。

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この案内板に書かれている「延命院」とは、その昔、この神社の隣にあった別当寺のこと。

現在は小学校になっており、その面影を見ることはできません。

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延命院跡に建つ「鹿児島市立中郡小学校」。私の母校でもあります。

この小学校自体も創立から120年以上を数える歴史ある古い学校なんです。

歌手の長渕剛さんや、俳優の沢村一樹さんもこの学校の卒業生だそうですよ。

どちらも大先輩なので、実際にお会いしたことはありませんが・・・。

 

正門から入って奥に進むと、一之宮神社と隣接する形で体育館があります。

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この体育館、私が在学中に建て替えられたものなんですが、旧体育館が壊され新しい建物が建てられる前に、暫く発掘調査が行われていました。

一体何の調査だったのか、今度暇があったら調べてみたいと思います。

 

 

神社に戻りまして、記念碑やら塔婆のあった場所のすぐ先には拝殿があります。

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横から見ると、本殿と一続きになっていることがわかります。

 

見るからに新しいこの社殿は、2~3年ほど前に立て直されたものなんですが、

完成した際には遷宮が行われ、そちらも見学させていただきました。

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約100年ぶりの建て直しということで、遷宮も約100年ぶりだったんでしょうか。

貴重なものを見せていただき、ありがとうございました。

 

そして、上記の社殿の画像にも写っていますが、奥にはちょっとした林があります。

その林の入り口には、しれっと貴重な遺跡も。

f:id:muu2013:20170301233727j:plain何の遺跡だかわかりますか?

これだけじゃわかりませんよね。

実はこれ、弥生時代の住居跡なんです!

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こちらが案内板

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これによると、昭和22年に南九州で初めて見つかった竪穴式住居跡とのこと。

しかも驚くことに、この遺跡は地表からわずか1mのところから発見されたそうです。

1mとか頑張れば子供でも掘れる深さのような気がしますが、そんな浅い場所から約2000年前の遺跡が遺物と一緒に見つかるなんて、まさに奇跡ですよね。

 

 そんな遺跡を奥に進むと、樹齢600年とも言われる樹々が生い茂る樹林が広がっています。

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これらの逞しい樹々たちのおかげで、住宅街の中にありながらも神社の神聖な雰囲気が保たれているような気がします。

 

また、この樹々たちは市の保存樹林としても指定されています。

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その樹林の中には、

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お墓らしきものや、

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石塔(にしては短い?)、

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よくわからないものや、

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寄せ集められた感じの石の祠など、石でできた色んなものがひっそりと置かれていたりもします。

 

以上、2000年前の遺跡に始まり戦国時代から明治・昭和期の碑までの幅広い年代の遺物から保存樹林まで、盛り沢山の魅力がギュッと詰まった歴史の宝石箱「一之宮神社」のご紹介でした。